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2019年02月27日
individual consumer

【第1話】経営者になるまでの歩み

みなさま、こんにちは。

少しずつ春の訪れを肌で感じられる季節となってまいりましたが、いかがお過ごしでしょうか。

本日は、株式投資型のクラウドファンディングサービスを日本で初めてローンチさせた、株式会社日本クラウドキャピタルの大浦さんと松田さんにインタビューをさせて頂きました。

弊社も提携を組ませて頂き、日本を支える中小企業の皆様方を応援しております。

今回のインタビューでは、お二方がなぜ経営者という道を選択し、どのような道を歩み今に至るのかお聞きしてきました。

第1話、どうぞお楽しみ下さい!

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(左:松田悠介氏、右:大浦学氏)
株式会社日本クラウドキャピタル
代表取締役COO 大浦学氏
1988年千葉県生まれ。2011年明治大学卒業。2012年システム開発会社設立。2013年明治大学大学院グローバルビジネス研究科卒業。2015年株式会社日本クラウドキャピタルを同代表柴原祐喜氏と共に設立。

 

松田悠介氏
1978年兵庫県生まれ。2004年プレジール株式会社設立 同代表取締役就任。2014年株式会社スターリーシング設立 同代表取締役就任。2015年Lonesta Primula Bank株式会社設立 同代表取締役就任。2015年レピオス株式会社設立 同代表取締役就任。2016年ギャラクト株式会社設立 代表取締役就任。2016年~2019年1月株式会社日本クラウドキャピタル専務取締役。

 

お二人にお聞きします。幼少期はどのような子どもでしたか?

松田氏:あまり今と変わっていないですね。わがままで、傲慢で、やりたいことしかしない。欲求のままに本能的に生きています。今40歳になりましたけども、少年の頃も40歳と言われていました。(笑い)

 

親御様にはどのように育てられましたか?

松田氏:うちは超リベラルでしたね。自由で、ほったらかしで、自分の意思決定は自分でしなさい、その代わり、自分の尻は自分で拭きなさいというように育てられました。

 

大浦さんはいかがでしたか?

大浦氏:僕は手のかからない子どもだったと思います。父親も経営者だったのであまり家には居ませんでしたし、3人兄弟で兄と妹がいるのですが、兄の場合は、最初の頃はすごく可愛がられて、次に僕が生まれてちょっと可愛がられて、そして女の子が生まれて、すごく可愛がられて。そんな感じなので、なるべく影薄く過ごしていたかなというのが幼少期です。

 

お父様はどのようなお仕事をされていたのですか?

大浦氏:システム系の会社で、今も現役で働いています。

 

小さい頃からお父様の背中を見て、ご自身も将来は経営者になりたいと思っていたのですか?

大浦氏:いいえ。こうはなるまいと思っていました。(笑い)家にも帰ってこないし、たまに月に一度帰って来た時にはうるさいしというので、嫌いでしたね。

 

それが実際には、今ご自身で経営をされていらっしゃいますが、きっかけは何だったのでしょうか?

大浦氏:大学時代の就職活動で、コンサル系の会社を中心に見に行ったのですが、その時に「何か違うな」と思ったのがきっかけです。陰で会社を支えるというよりは、自分がプレーヤーとしてやりたいと思い、起業することにしました。

 

では、大学卒業後すぐに、日本クラウドキャピタルを創業したのでしょうか?

大浦氏:いいえ、まず大学院に通いました。元々は色々な会社を自分自身で作りたいと思っていて、まず何の会社が必要か考えた時に、今後はITの時代になっていくということで、当時ITの知識は全くなかったのですが、システム開発やウェブ制作を中心とした会社を作りました。

そしてある程度会社が回って来た時に、外部の資金調達をしていこうかというタイミングがあったのですが、ベンチャーキャピタルというような投資系の会社が、株価とかバリエーションが折り合わなかったり、投資契約が厳しかったりで上手く話が進まなかったのです。

しかし丁度その頃の海外では、今の僕らがやっているような仕組みが出来ていて、そこでウーバーやエアビーといった有名なベンチャー企業が資金調達をしていることを知り、インターネット上で資金調達をする仕組みがないのかな?というところを、共同代表の柴原と一緒に話していて、ITのプロダクト先行の仕組みを作ったんです。しかし、そこで1つハードルになったのが金融商品取引法で、その仕組みは日本だと違法になってしまうというところで、ずっと諦めていたのですが、2015年5月に法律改定が起こったので、僕らにはプロダクトもあるし、日本で出来るのであればそのライセンスを取りに行こうという事で、このビジネスが始まりました。

 

「日本で初めて」に挑戦する上で一番大変だったことは何ですか?

大浦氏:金融庁のライセンスが取れるまでが非常に大変でした。

それまでは一切IT畑で、金融知識がゼロだったので、金融庁や関東財務局との対応の仕方も何も分からず、1年半くらいは金融六法を読みながら、規定や書面を整理するということをやり続けていました。

そしてその間もタフな交渉が多かったですし、そこにかかった1年半は当然売上もずっとゼロで、いつライセンスが取れるんだろうという暗闇の中で、いつ会社が潰れてもおかしくないという状況が続きました。

 

そういった不安な日々は、例え1ヶ月だとしても長く感じるものだと思うのですが、どうやって1年半の暗闇を乗り越えたのでしょうか?

大浦氏:乗り越えられてもいないような気がしますね。(笑い)

当初は3ヶ月程度で登録が取れる予定だったので、色々な投資家さんや事業会社さんから出資を頂いて、応援をしてもらっていたので、ライセンスを取らなきゃマジでヤバい。取れなかったら死ぬ。そういった感情で向き合っていました。

 

松田さんにお聞きしたいのですが、松田さんはいつから経営者になると志したのでしょうか?

松田氏:僕は高校生の時ですね。高校1年から3年までBarでバーテンダーのアルバイトをしていて、サラリーマンよりも経営者が多くいらっしゃる環境にいました。それに、私の実家も家業をしていて、親戚も全員起業家なんです。それで自分にはサラリーマンは向いていないな、サラリーマンをしてもすぐに辞めてしまうだろうな。と思うところがあって、当時のBarのオーナーや、お客様の上場企業の社長とよく話をしていたら、「サラリーマンは出来ればしない方が良いよ。」と言われて、なるほどね。と思って、高校卒業後に海外に行って、何やかんやで1年程バックパッカーをやって、帰国後の20歳で起業することになりました。

 

ご自身のどういったところが、サラリーマンに向いていないと思ったのでしょうか?

松田氏:わがままなので、自分がやりたい仕事をするといった時に、自分でプロダクトを作って、世に流通させたいという想いが強い。なので、人の下で何かミッションを与えられて仕事をするということ自体が自分には無理なんだろうな、すぐに喧嘩をして辞めるんだろうな。っていうのと、あとは自由度ですよね。経営者ってある意味、自分の成果と責任が横たわっているんですが、自分の思った通りに進むことが出来るという世界に、憧れていました。

 

20歳で作られた会社では何をしていたのですか?

松田氏:フリーランスの営業をしていました。昔は特定商取引法というのが無かったので、エステサロンさんや学習塾、英会話教室、何でも有りだったんですけど、そこから委託を受けて、長期期間の10年とか5年契約を一気に撒く事が出来たんです。

例えば、小学校6年間の学習塾の契約を、6年間分まとめて頂けば、月延べして1万円だったとしても、年間で12万円、6年間で72万円というパッケージで契約してもらうんです。そして、それを日能研さんに持って行っても、栄進館さんに持って行っても良くて、その金額の30%が私の収入となるというシステムだったんですね。なので、商材は何でも良いんです。

ありとあらゆる商材に触れて、ありとあらゆる人に売って、売って、売りまくって、20歳くらいの時に年収が3000万くらいになったんです。

 

す、凄いですね!!

松田氏:でも、ばかなので消えていくわけです。毎日毎日、稼いでは使い、稼いでは使いを繰り返して、そうこうしているうちに、大手教育関係の会社にうちに来て欲しいと引き抜きにあいました。

学習塾や家庭教師向けの商材を作る会社で、何を作っても、何を売っても良いということで、営業所と部下と材料だけ持たされ、フルコミッションで営業支店を任されました。またそれも、やったら上手くいって、大阪支店、福岡支店と作り、九州全体の支社長を任せてもらったのが22歳くらいの時でした。

ところが、その会社は従業員が400人くらいいたのですが、いきなり分裂が始まったのです。社長と専務が創業者だったのですが、分裂して、どっち派になる?という話になり、僕は専務にお世話になっていたので、割れた方の専務派につき、それがきっかけで23歳で初めて東京に出てきました。

すると今度は、特定商取引法という法律が出来たんです。要は長期間の契約はダメですよ。という法律で、今までは一度長期契約を結ぶと解約が出来なかったんですが、2年目以降の契約については無条件で解約が出来るというのが初めてできたんです。

そして、某大手英会話教室や、某大手着物販売店、某エステサロン、うちもそうですが行政処分が下って、それらB to Cの長期契約を撒いていた会社が軒並み潰れたんです。

 

私もその当時のニュースは記憶に残っております。その後、松田さんがついていかれた会社はどうなったのですか?

松田氏:うちの会社も潰れますと、いきなりFAXで本社から通告がくるんです。「来週をもって事務所も解散します」といったように。

僕はその時、東京の池袋と新宿と高田馬場、千葉の柏の4拠点の支店長でしたので全体の売上の35%は僕に実入りでずっと入っていたので、常に3000万くらいの給料が年間であったので、そろそろ結婚でもしようかなと思い、結婚をしたのですが、その2週間後くらいに行政処分があり、潰れますとなったのです。

 

えーーーー!!!すごいタイミングですね。。

松田氏:それで、さぁ。どうしよう。となった時に、当時の従業員さん達が「新しく会社を作りましょうよ。」と言ってくれて、「じゃあ、やりましょうか。」ということで、そこで初めて起業をしたんです。

それまではサラリーマンではないんですけど、業務委託のフリーランスでやってきたので。

 

 

二十代前半という若さで、本当に目まぐるしいご経験をされたんですね。

次回第2話は、3月6日水曜日にアップ致します。どうぞお楽しみに。

(インタビュアー  亀谷志奈子)

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